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自己紹介

幼少期と家計簿の出会い

 会社員の父と母親という一般の家庭の元にて生を受ける。幼少期からのびのびと自由なことをさせてもらっていたが、唯一取り決めとしてあったのが、お小遣いをもらいはじめてからの家計簿をつけることであった。毎月お小遣いの日が決まっていたが、今ある残金と家計簿の記載に間違いがないかの確認ができなければ、お小遣いがもらえないシステムだった。買い物をした日に記入することはなく、25日が近づくと溜めていたレシートとレシートにない支払いの記憶をたどりながら書き下していたことを憶えている。定期的な資産の見直しにより、日々のお金の使い道を意識するようになる。

高校生活と大学受験

 小・中と公立に通い、特にこれといった突出したものがなく、可もなく不可もない学生生活を送っていた。何を血迷ったのか、中学2年の終わり頃に県内で偏差値トップの公立高校を志望校に定め、本格的に勉強に取り組み始める。まじめに勉強を始めて一年足らずで模試の判定は間違ってもA判定が出ることなく受験校を決める時期が来たのだが、合格の兆しが無いまま受験に突っ込む。他の受験生が受験を控えてくれたおかげで合格をもらったが、高校入学直後の学内模試の順位が下位10位以内だったことが、如何に危険な賭けに出たかを物語っていた。
高校入学後は、学内模試の順位に危機感を感じ睡眠時間を削りながら予習復習に必死に食らいつく。そして、1年の10月頃の駿台模試で好成績を修め、高校生活で最もいい成績を叩き出す。結果が出てきたことを機に、当時お世話になっていた塾の費用との関係で辞めることを決意。その後は、結果が出たことで危機感が薄れたせいか、今まで塾に頼り過ぎていたせいか、特に成績が伸びることもなく、むしろ停滞気味で大学受験を迎える。
 センター試験は、900点満点中450点を下回っており、平均点を超えた科目は唯一国語だったことは憶えている。この結果を元にボーダーラインにのっていた国公立大学を受けるが、二次の結果が芳しくなかったせいか、不合格の通知を頂く。この結果、浪人か私立大学の二択を迫られることになる。

K大学になんとか滑り込む

 国公立大学の不合格を頂いた後、全てを諦めていた私は浪人を考えている中、親は諦めずに私の希望に沿った大学を探してくれていた。その中のK大学を受けると、「合格」の二文字の通知が届き、浪人をしても成績を伸ばす自信がなかったため、滑り込む形でK大学への進学を決める。入学決断後に親との会話でK大学の学費を知り、国公立との学費の差に驚愕する。そして、親への負担軽減と自身の過去の清算のために特待生という目標を掲げる。特待生の条件として、TOEICと学部成績の2つの基準を達成することが条件であったが、プログラミングとの出会いに加えて協力してくれる同期や先輩の存在のおかげでなんとか達成。家計簿で培われたお金に対する意識が動力源となる。

20歳 フィリピンに短期留学する

 親への負担を減らす目的で浮かせたはずの学費分をいつの間にか自身のために使用し、2回生の夏、フィリピンのセブ島に1ヶ月の短期留学へ。
 フィリピンで学んだことは、日本の「当たり前」が海を渡れば「当たり前」ではなくなるということ。留学中の生活から食べ物までの全てが異なることに苦労する。TOEICを数百点獲っただけで会話が成立すると思っていたことは大きな勘違いで、英語でのコミュニケーションにも苦労した。しかし、私よりも英語が苦手だった友人が現地の先生と仲良くなっている姿を目にして、人とのコミュニケーションをとる上で重要なのは英語よりも先に、文化や国民性に対する理解が重要だということに気づく。
 「普通とはなにか」ということに疑問を持つようになる。友人の「普通は〇〇だ」とよく口にしていたが、こういう言葉に対しても、単に同調することは減ったように思う。国ごとに価値観があり、さらに一人ひとりに価値観がある。その価値観が必ずしも世界共通のものではないことを知る。

卒業研究

 順調に単位の取得と進級を続け、4回生の卒業研究の時期がやってくる。大学では、プログラミングや数学、生体機能について学び、それを応用する形で、AIを用いた脳機能の解明に、卒業研究として取り組む。卒業研究の題材を選ぶ段階で内部の院進学も決めており、3カ年計画の実力以上の壮大な研究を与えてもらうが、一年間経っても全く成果が得られず苦労する。卒業研究を通して、大学受験期と似た心理状況になっていることに気付き、自身の中で精神的にジリジリと貧しくなっている状況を客観的に理解するようになる。この状況を勝手に「精神的ジリ貧」と呼んでいる。

院進学とセミ・アーリーリタイアの決意

 コロナの緊急事態宣言により大学・研究室が閉鎖する。その間も、研究はあまりにも進捗がなかったために研究内容を変更することを考え、研究室の再開と同時に研究内容の変更を願い出る。研究室の閉鎖の間に一時の休息が得られたおかげで、精神的な休息が得られ、新たなスタートを切る。
修士1年の終わりの2021年の1月を機に、バイトで貯めていた資金を元手に米国株式ETFの投資を始めることを決意し、月に5万円をVYMに定期買い付けを始める。投資を始めたのは、大学受験と卒業研究を通して「精神的ジリ貧」に陥り、1つのことに依存する危険を感じた。さらに、大学院への進学後に友人が診断されたうつ、就職して間もない大学時代の友人の逝去など、私の周りでさまざまなことが立て続けに起こったことも起因している。私の場合は「精神的ジリ貧」の直後に運良く環境変化の節目があり、結果的に「精神的ジリ貧」から脱却できたが、今後会社で働く中でも「精神的にジリ貧」に陥らないとも限らない。また、今後同じように環境変化の節目が来ることは期待できないことから、精神的自立が必要だと強く感じているために、その手段の1つとして投資を選んだ。
投資と同時に将来の働き口を探すべく、就職活動なるものも始める。人的資産としてなるべく手元に資金が貯まる方法を模索しながら就職活動に取り組む。配当金を得る上で最も重要で単純な、支出が低く、収入が高くなる条件を探る。

配当金

 現在の配当累計額は0円。随時更新予定。

お金の不安との葛藤

 幼少期からの家計簿により、収入と支出を振り返る習慣がつくと同時に、資産の減少に対する不安がつきまとうようになってきました。お金を貰えば増えますが、使えば減ります。お金は自身が必要だと考えるサービスを受けるために支払うもので、資本主義社会を生きる上で「お金を使う」という行為からは絶対に逃れられません。この生活の中で、自身の資産を守る「資産の最適化」という考え方が自然と身につきました。この考え方は、自身の手元の資金だけでなく、親や兄弟を含めた家族全体としてのプラス・マイナスも視野に入れたものも含まれており、この考え方が塾を辞めることや特待生のモチベーションといった、過去の行動にも反映されているように思います。

 「精神的ジリ貧」の原因の1つはお金に対する不安があり、その不安はお金に対する理解が足りないためだと振り返っています。「お金」というものを理解すればお金に対する不安を対処できるものだという仮説のもと、投資とブログを始めました。

人生の目的

 目標としては、今後の人生設計も考慮して30歳を目処に経済的自由を得られる資産と働き方を模索していきます。配当金と副業収入で生きていける状態を直近の目標として掲げています。

当ブログの方向性

 私がフィリピンでの生活で価値観が広がったように、このブログを通して価値観の1つとして知ってもらえるきかっけになれば幸いです。また、私と同じような「精神的ジリ貧」を経験した方もしくは経験している方が、「精神的ジリ貧」を脱却する緒(いとぐち)になることを願っています。
 具体的には、投資を含めた資産に関することをメインに情報発信していきます。また、将来の職種としては、ITエンジニアを目指しており、IT技術に関することも一緒に発信させていただければと考えています。知識を蓄えつつ結果報告をしていくことで、皆さんの中で資産形成に取り組む相談相手ができることも願っています。